どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記

2015年3月。脾臓の腫れから発覚した悪性リンパ腫。脾臓摘出・生検の結果、判明した病型はとりわけ手ごわいといわれ、 標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。 自覚症状のなさと医師のシビアすぎる診断とのギャップに頭の中はチンプンカンプン。いったい全体わたしの身体どうなってんの? MCLと闘う50代オバさんの記録です。

 

プロフィール

 

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自己紹介。

1961年生。九州は福岡、博多の出身。現在は関東の海沿いの町に在住。

既婚、子供はなし。以下、冗長なので興味と暇のある方だけどうぞ。

 

子供の頃は魚やザリガニを捕りに川へ出かけるのが日課だった。先祖は博多の下級武士で、鯨で稼いでこい、と長崎五島に遣らされた。廃藩置県後そのまま五島で捕鯨の網元を営み、相当羽振りが良かったそうだが、祖父の代から博多に戻っている。

 

中学高校は私立の女子校。のびのびとした環境で、音楽(合唱)と美術に明け暮れる日々だった。地元の大学の芸術学部へ進学。大学を卒業してからステンドグラス工房、美術館の監視員、広告プロダクションで丁稚(バイト)、テレビ局のコンピュータ会社パートなど迷走し、長いトンネルを抜けるとコンピュータゲームのメーカーに行きついた。仕事は企画、パブリシティ、広告、外注ソフトの制作管理など。パソコンゲームからPSなどのコンシューマ系への移行期で、半年休みがないとか、毎晩夜中の2時まで仕事とか、今ならブラックといわれるような環境で楽しく働いていた。出張が多く、海外研修や旅行も会社からたくさん行かせてもらった。米ラスベガスで開催されたCES(家電見本市)へ行き、宿泊したホテルのカジノで1万ドルを当てた経験がある。思えばネタの尽きない人生で、大学時代に学芸員資格の実習で動物園へ行き、1週間飼育を経験。怒ったダチョウからお尻に回し蹴りを食らったことがある(しかも3発)。MCLに罹ったときも「今度はそう来たか」的な感じがしないでもなかった。

 

ゲームメーカーは10年務めたところで経営危機から空中分解(倒産)。趣味の釣りを通して知り合った夫と結婚し、関東へ。10年は穏やかに過ごしていたが、義母(夫の母)が脳卒中で倒れ、1年の闘病の後、最期は肺がんで亡くなった。その2か月後には実父が白血病で2週間の闘病後亡くなった。義母と父の死をキッカケに一念発起、介護の道に足を踏み入れることに。ヘルパー2級の資格を取得し、介護施設へ。色々あって施設は1年半で辞めたが、尊敬する先輩の独立に起業時から参加させてもらい、訪問ヘルパーとして楽しく仕事をしていたところでMCLが発覚。治療が一段落した現在、リハビリを兼ねて細々とヘルパーの仕事は続けている。

 

前職のこともあり、PC歴だけはムダに長く、職場や友人のサイトを作ったり、自分の趣味のブログを運営したりしてきた。Photoshopは20年来の大切な友達(毎月金はかかるけど)。 Illustrator は友達の友達くらいでよく知らん(尊敬はしてるけど)。ゲーム業界にはいたけどゲームはやりません。ブログ運営もプログラムはさっぱり門外漢の基礎なし工事で、吹けば飛ぶような小屋状態なので苛めないでください。以上。

 

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