どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記

2015年3月。脾臓の腫れから発覚した悪性リンパ腫。脾臓摘出・生検の結果、判明した病型はとりわけ手ごわいといわれ、 標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。 自覚症状のなさと医師のシビアすぎる診断とのギャップに頭の中はチンプンカンプン。いったい全体わたしの身体どうなってんの? MCLと闘う50代オバさんの記録です。

 

2. 最初の告知

 

2015年3月はじめ。
左上腹部の痛みが強くなり、日によっては仕事どころか歩くのもつらくなってきた。

見かねた上司の強い勧めで、仕事を早退して大腸ポリープを取ったU 病院へ。診てくれたのはポリープを切除した医師ではなく、若いがしっかりした感じのA医師だ。
軽い問診のあと、ベッドで触診すると、「あれっ」と顔色を変えた。
「すぐCT撮りましょう。あと血液検査も」

検査後、CT画像と血液検査の数値を見ながらA医師はこう言った。
「脾臓がすごく大きく腫れています。身体の中のリンパ節もポコポコ腫れていて、血液は血小板が少ない」

すこし間をおいて、とても言いにくそうに、こう続けた。
「これは…リンパ腫の疑いがあります」
「えっ、リンパ腫って、あの悪性リンパ腫ですか?」
驚いた声でそう返したものの、不思議とあまり動揺はしていなかった。

リンパ腫が血液のがんであることは知っていた。3年前に急性骨髄性白血病で父を亡くしていたからだ。白血病について調べていたので、同じ血液がんであるリンパ腫のことも少しだけ頭に入っていた。
それに、俳優の高倉健が亡くなったとき、とくにファンだったわけでもないのになぜか気になって、週刊文春の記事やら文芸春秋に載っていた最期の手記やら漁るように読んで、ネットでもリンパ腫について調べたりしていたのだ。まさか自分が同じ病気に罹っていて4か月後に発覚するとは思ってもみなかったが、なにかの予兆を感じていたのだろうか。

A医師はテキパキと造影CTとエコー検査の予約を入れ、翌週同じU病院の内科を受診するよう計らってくれた。会計を済ませ、病院を出て車に乗り込む。ドアを閉め、エンジンをかけないまま、運転席から夕暮れの街をしばらく眺めていた。

――これまで、やりたいことはなんでもやってきた。
夫や家族や友人に恵まれて、人生になんの不満もなかった。
辛いことがなかったわけではないが、都度良いほうに転換してやってこれた。残っているのは楽しい良い思い出ばかりじゃないか。
今、病気になったからといって、誰に何の文句も言えないよなぁ。
たとえ神様にも――。

これがそのときの正直な心境だった。涙はまったく出なかった。

 

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