どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記

2015年3月。脾臓の腫れから発覚した悪性リンパ腫。脾臓摘出・生検の結果、判明した病型はとりわけ手ごわいといわれ、 標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。 自覚症状のなさと医師のシビアすぎる診断とのギャップに頭の中はチンプンカンプン。いったい全体わたしの身体どうなってんの? MCLと闘う50代オバさんの記録です。

 

再入院と寛解宣言

 

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◆2015年12月4日(金)
幹細胞採取のための再入院日。今回はベッドの空きがなく、差額ベッド代が必要な窓際に陣取ることに。4人部屋では初めての窓際だが、大きな窓から見える景色は最高で、なるほどこれなら有料でも惜しくない。
今回は抗がん剤治療がないので少々お気楽だ。ご機嫌で荷ほどきをしているところへ主治医のM先生が登場。先日のPET/CTの結果と合わせて1~4クールの評価が出たのだ。M先生は、これまで見たことないほどいい笑顔でこう言った。

「寛解と言って良いでしょう。病気はしっかりコントロールされている状態です

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「寛解」は病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減した状態、または見かけ上消滅した状態を言う。完治とは違い再発の可能性は否めないが、とりあえずは治療成功だ。薬がよく効いていることはわかっていたが、やはりうれしい。
「ありがとうございます!先生のおかげです」
本心からそう言って頭を下げた。ここに至るまで、M先生はいつもしっかり診てくれた。きめ細かく速やかに対処してもらい、わたしに不安や迷いはまったくなかった。その上での寛解。ほんとはハグのひとつもしたいところだが、オバちゃん患者が相手では気の毒なのでやめておいた。

G-CSFの投与は明日からだが、今回は高熱の副反応が出たグランではなく、ノイトロジンを使うらしい。
「おまじない程度の効果かもしれないけど、変えてみましょう」とM先生。いろいろ戦略を立ててくれているのだろう。

今回の入院でも「みかんのUさん」が同室だ。Uさんは少し前に幹細胞採取にチャレンジして採れなかったらしく、わたし同様プア・モビライザーと判明。後日また再チャレンジするとのこと、がんばろうねと励まし合った。
荷解きをしながらふとベッドネームを見ると、担当医欄がやけに賑やかだ。主治医はM先生、副担当医がI先生、T先生、そしてイケメンドクターY先生の名前もある。UさんによるとT先生は学会で渡米中なので、実際はいつも通りの主治医+副担当医(2名)体制らしい。しかし、お馴染みの先生の名前がたくさん書いてあるだけで、なんだか心強い。

◆2015年12月5日(土) day1
昨日、郷里の博多から母が上京してきた。長い闘病なので一度は母にも様子を見に来てもらったほうが良いのではないか、と姉。今回の入院は抗がん剤治療がないので絶好の機会、ということで呼び寄せてくれたのだ。
そして今日。母、姉夫婦、甥(次男)、夫と大勢で病院に来てくれたので、院内レストランで和やかなランチタイムを過ごした。昨日の寛解宣言を報告すると、みな喜んでくれて、幹細胞もきっと採れるよと励ましてくれた。

母は高齢だが元気そのものだ。母に会うのは脾臓摘出直前に帰省した4月以来。あれからわたしは抗がん剤治療を受け、脱毛して帽子をかぶってはいるが、痩せもやつれもしてないので、母はほっとした様だった。院内の雰囲気の良さにも関心し、すっかり安心して帰って行った。
今回の入院で幹細胞が採れて自家移植に進むとなると、またしばらくは厳しい治療が続く。その前に元気な姿を母に見せられてよかった。姉夫婦と夫のフォローに感謝するばかりだ。

さて、いよいよこの日の夕方G-CSFの投与が始まった。ノイトロジンで高熱が出ませんように。そして今度こそ幹細胞がたくさん動員されますように!


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