どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記

2015年3月。脾臓の腫れから発覚した悪性リンパ腫。脾臓摘出・生検の結果、判明した病型はとりわけ手ごわいといわれ、 標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。 自覚症状のなさと医師のシビアすぎる診断とのギャップに頭の中はチンプンカンプン。いったい全体わたしの身体どうなってんの? MCLと闘う50代オバさんの記録です。

 

無菌室撤収

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7月に入院して40日ほどを快適な個室(無菌室)で過ごしていたが、ついに明日大部屋に移動だ。治療も順調だし、血球の戻りも早く、本人はご飯モリモリ食べて元気いっぱい。他に個室が必要な患者さんがいれば、一番に出される患者なのは明らかだ。わたしもこの高級ホテル並みの環境は若干申し訳ない気がしていたので、これでいいのだ。ちょっと、いやホントはかなり名残惜しいけど。
夜、これまで独り占めだった大都会のビル群の夜景を堪能して眠りについた。

◆2015年9月2日(水)2コース/day16。
朝食後、大部屋に移動。4人部屋だが、ひとり分のスペースはかなりゆったりしている。が、個室にいたときに荷物が増えすぎて、収納に難儀する。結局入りきらない荷物はダンボールに詰めて、院内のコンビニから宅配便で家に送った。

同室の3人はがん種は違うが、とても良い人たちで、すでに仲良し状態。わたしも挨拶してすぐ仲間に入れてもらった。ムードメーカーのI倉さんは「昼間はカーテンをオープンにさせてもらいますね」と笑顔で言う。みなそれに倣い、カーテンはフルオープン。着替えたり、横になる時以外はみんなで広い空間を共有した。わたしは廊下側のベッドだったが、一日中窓の景色を楽しむことができた。看護師さんたちも「この部屋は明るいですね」「雰囲気が良いですね」と笑顔で言う。大部屋、楽しいじゃないか。

思えば、個室は闘病には快適すぎた。夜間眠れないとき、まわりに遠慮せずにテレビをつけたり、読書をしたり、我儘がききすぎる。大部屋では消灯時間を過ぎたらテレビは明かりが漏れて迷惑をかけるし、スマホの画面の明かりでさえ気を遣う。まわりに気兼ねして「寝るしかない」環境は、実は闘病には向いているのかもしれない。実際、不思議なことだが、大部屋に移ってからは眠剤が欲しいほどの不眠にはならず、毎晩ぐっすり眠れた。

◆2015年9月3日(木)2コース/day17。
姉がお見舞いに来た。都内に住む姉は、入院以来、週に1回くらい、頻繁に顔を出してくれている。前述したとおり、入院中のお見舞いはお断りさせてもらっていたが、夫と姉には現状を見てもらっておかないと、なにかあったときに困るだろう。姉に会っておけば、実家の母にも情報がいくし、安心してもらえる。
姉とは6つ違いで微妙なジェネギャプがあり、若いころはすごく仲が良いというわけではなかったが、こういうときは理屈抜きで甘えられるのが姉妹の良いところ。顔を見るとホッとするし、入院中は姉の存在が心底ありがたかった。

姉は「洗濯ものがあればしてくるよ」と言ってくれたが、幸いそれは必要なかった。病棟では、できるだけ自分のことは自分でやるよう奨励されていて、白血球減少期も洗濯室への出入りは制限されていなかった。少ない運動量を補うためでもあるが、体調が悪くなければ自分のことを自分でやるのは当たり前。他の患者さんたちもみな自分で洗濯していた。

昼はできるだけ起きて、夜はしっかり寝る。洗濯や下膳は自分でやる。入院中も可能な限り普段通りに過ごすことは、退院後の生活とのギャップを小さくするためにもいいことだと思う。


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