2015年5月8日(金)。夫の付き添いでK病院外科に入院。
脾臓っ子(夫命名)の摘出手術は翌週月曜だ。すぐに入院・手術のオリエンテーションを受け、執刀医のK医師と面談する。
K医師はハーフっぽい優しい顔立ちのイケメンで、見るからに若い。診察してくれたベテランのM医師が切ってくれるんじゃなかったのか… と軽く落胆する。命を預けるなら見た目より実績である。
が、話しをはじめた若いK医師はまったく物おじしない堂々とした態度で、テキパキとわかりやすく説明してくれた。どうもそれなりの経験を積んでいるようだ。これなら大丈夫だろう。心の中でGOサインを出す。夫も良い感触を得たようだった。
説明中、K医師は「この手術は、肥大して他の臓器を圧迫している脾臓を摘出して生検に回すのが目的です。悪性リンパ腫を治療するものではありません」と強調した。固形がんのように腫瘍を切除するのが目的ではなく、診断のための検査に必要な切除である、と。まぁ、今更な話だが、老人に多い病気でもあるので「手術したから治ったんじゃないの?」と聞かれることもあるのだろう。切って取って終わり、ならどんなに楽か知れないけれど。
その後、麻酔医と面談。翌日は土曜、週末は治療も何もないので外泊の手続きをして帰宅。日曜の夕方に病院に戻り、一泊。
病室は4人部屋で、外科の病棟なのでケガの人やがんの人、いろいろだ。カーテンごしに挨拶する程度で、とくに交流なし。
5月11日(月)午前8:30。手術当日。
付き添いに来てくれた姉と夫に手を振り、看護師さんに付き添われて歩いて手術室に入室。手術室は壁全体が緑色、寝台も緑色、血液の赤が目立たないようにとの配慮だろうが、少々時代がかっている気がした。ネットで見た今どきの手術室はもっと無機質な印象だった。しかし、ここはどことなくアカデミックな雰囲気があって悪くない。それこそ「見た目より実績」と手術室が主張しているかのようだ。
狭い寝台に横になり、麻酔医や看護師さんと一言二言話したのは覚えているが、次に目を開けたのは手術後である。名前を呼ばれ、夫と姉の安堵した顔を見上げて、ああ、終わったんだな―― と思った瞬間、また意識は途切れた。
次に目覚めたのは、深夜。術後に一晩入ると聞いていたリカバリー室のようだった。
呼吸は苦しく、切ったところが激烈に痛い。口が乾く。とにかく苦しい。担当の看護師さんが熱を測り、痛み止めの点滴を入れたり追加したり、うがいをさせてくれたりと小まめに面倒をみてくれる。時間が経つのが異常に遅く感じ、さすがにもう朝だろうと壁の時計を見ると、まだ1時間も経っていなくて絶望的な気分になる。
トイレに行こうと身を起しかけて、ハッとする。「術後はトイレには行けません。尿カテーテルを入れるので行かなくて大丈夫。起き上ってはいけません」と手術前にあれほど念を押されたのに。術後せん妄まではいかないが、麻酔の影響で頭がぼんやりしているのを自覚する。
血中酸素濃度が低く鼻に酸素チューブを入れられたが、無意識に外してしまい、アラームがピーピー鳴っている。耳元でずっと「うーん、うーん」と苦しげな唸り声が聞こえ、ふと気づくと自分の声だった。
朝が遠い――。