どうなってんの? マントル細胞リンパ腫闘病記

2015年3月。脾臓の腫れから発覚した悪性リンパ腫。脾臓摘出・生検の結果、判明した病型はとりわけ手ごわいといわれ、 標準治療も定まっていないマントル細胞リンパ腫(MCL)だった…。 自覚症状のなさと医師のシビアすぎる診断とのギャップに頭の中はチンプンカンプン。いったい全体わたしの身体どうなってんの? MCLと闘う50代オバさんの記録です。

 

2. 院長回診

 

朝がやってきた。長く苦しい夜がやっと明けた。

しかし痛みは相変わらずで熱もある。リカバリー室にいるのは手術当夜だけで、翌日は元いた病室に戻されると聞いていたが、こんな状態で大丈夫なのだろうか。死ぬんじゃないのか。病室よりICUに連れていってくれまいか。

 

などと青息吐息で考えていたら、看護師さんがやってきて「これから院長の回診ですから」という。月に1回だか2回だか、めったにないことらしく、看護師さんはセカセカと緊張ぎみだ。しかし、こちとら院長だろうが王様だろうが大臣だろうが、誰が来ても苦しいことに変わりはない。どうでもいいよ。それどころじゃないんだよ。

 

しばらくすると、部屋にたくさんの人の気配が。どうやら院長ご一行のおでましらしい。部屋のカーテンがジャッ!と開いた。けっこうな人だかりがカーテンの向こうに見える。真中に立っている人物が院長らしい。院長は

「うん、うん。大きかったもんねぇ(脾臓が)」

と笑顔で一言。次の瞬間、ジャン!と幕が下りた―― いや、カーテンが閉まった。

も、もう終わり? これじゃまるでポリンキー劇場だ。

♪ 脾臓っ子の秘密はね、教えてあげないよ、ジャン!

 

 

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ジャンとポールとベル(モント)

 

しかし、院長も摘出した脾臓を見たんだなぁ。あとで調べて知ったが、院長は外科の医師だった。

院長回診後、予定通り元の病室へ。「癒着するといけないので、術後は翌日から歩いてもらいます」と言われていたが、座位をとるのが精いっぱい、それもグラグラ身体が揺れて5分も座っていられない。看護師さんに支えてもらってなんとか一度立ち上がって「今日はこれくらいにしておきましょう」と勘弁してもらう。しかし、起きあがるのも横になるのもとにかく患部が痛くてたまらず。鼻には酸素チューブ、腕には点滴、おなかにはドレーン(水を抜く管)が2本。シモには尿カテーテル。身動きするのも辛いが、夕方になるとやっと水分摂取が許可され、冷蔵庫に入れておいたペットボトルの水を一口飲むことができた。

 

夫が会社帰りにやってきて、手術の顛末を話してくれた。手術の前に「脾臓の摘出自体はそんなに複雑な手術ではないので、3~4時間くらいでしょうと」言われていたのに、5時間経っても6時間経っても終わらず、やっと7時間以上経って出てきたらしい。主治医のK先生によると、脾臓と膵臓が癒着していて、剥がすのに時間がかかったそうだ。夫と姉は摘出した脾臓っ子を見たらしいが、それはそれは大きかったそうだ。血液をパンパンに吸って膨らんで、でかいトレーいっぱいの大きさで、K先生は棚からその重そうなトレーを降ろす際に

「どっこいしょ」

と声をあげていたそうだ。普通の人の脾臓は拳ひとつ分というから、相当な巨脾だ。そりゃ院長も驚くだろう。

 

生検で切り取った断面はスポンジ状で、「しばらくレバーとか砂肝とか内臓系は食えないなぁ」などと楽しそうに話をする夫に「もうだめかもしれない。死ぬかもしれない」とわたしは必死の形相(たぶん)で訴えた。はいはいはい、と軽くいなす夫。あぁ、こんなに苦しいのに…

夫からすれば、「なにかあればすぐに連絡します」と言われたのに一向に連絡は来ず、予定通りに病室に戻ってきたから「あぁ順調なんだな」と思っていたそうだ。

考えてみれば、7時間もの手術でおなかを24cmも切って中をいろいろ触ったのだから、痛くて苦しいのは当たり前。でも、そんな経験が初めてのわたしは「危険な状態だけど、わたしが悲観しないように夫は平静を装っているのだ」と本気で思っていた。いつもの前向き能天気はどこへやら、痛みの前にはどこまでもネガティブ発想なのだった。

 

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