K先生の「退院」の一言で、身体の中からむくむくと生きる意欲のようなものが湧いてきて、カラカラに乾いた喉が水を欲するように音楽が欲しくてたまらなくなった。
それまでテレビもiPhoneも光ってるものを見るのがつらくて、最低限しか見ていなかった。音もあまり耳に入れたくなくて、テレビのニュースは音なし。音楽もまったく聴いていなかったのに。
イヤホンを装着し、iPhoneに入れていたバッハの「マタイ受難曲」プロローグの合唱と最終合唱を再生する。わたしはクリスチャンではないし、こんなときにキリストの受難をテーマにした曲を聴くのは変かもしれない。しかし、なぜか学生時代から数年に一度、わたしの中でマタイブームが起きるのだ。そうなるとバカみたいに繰り返し一日中マタイばかり聴く。マタイはバッハ先生の最高傑作だと思う。こんなにヘビロテしても嫌にならないのはマタイだけだ。
ベッドに横になったわたしの上から、弦と管と歌声が降り注ぐ。乾いた土地が水を吸い込むように全身に音がしみ込む。トリハダが立つ。興奮を抑え込むように目をぎゅっと閉じると、不思議なことに自分の人生の良かったシーンが映像となって溢れ出てきた。走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え―― 走馬燈って死ぬときに見るんじゃないのか。生きられるとわかったときにも見えるのか。脳の誤作動か、もしかしたら「再生」を促すバッハの暗示か。
マタイですっかり自分を取り戻したわたしは、友人たちに経過報告のメールを送った。午後には術後はじめてシャワーを浴びることができた。ひどい息切れと貧血で病室に戻るときは壁伝いだったが、やっと人間に戻れたような気がした。
夕方には義父と義弟がお見舞いに来てくれた。入れ替わりで職場の上司、友人も。
術後どうなるかわからなかったので、お見舞いは遠慮すると伝えていたのだが、「そんなわけにはいかんやろ」と友人。わたしに飲ませるために新茶と急須、湯のみまで持って。見舞いに来てくれた友人も、控えてくれた友人も、どちらにも感謝しかない。
翌日の日曜には姉夫婦と甥っ子が来てくれた。もうこのときにはすっかり元気で、廊下もさくさく歩いていた。患部は痛いが、得体の知れた痛みになっていて、「そのうちよくなるだろう」と予想がついた。